今日のことは忘れよう

好きを発信していく。

最後に残るのは祈りか、呪いか

最近「日日薬」という言葉を知った。ひにちぐすりと呼ぶその言葉は、日々の経過が薬代わりになることをいうそうだ。意味を知るまでもなく、21年というちっぽけな人生からも学べていたはずのことなのに、無駄だと分かっていながらも、どうにもならないことを考え続けてしまう私は愚か者なんだと思う。

 

私の日常から好きな人がいなくなって、3ヶ月が経った。といっても、同棲していたとか付き合っていたとかそういうわけじゃなく、ただ夜中によく電話をする仲だったというだけだけど。6ヶ月という月日が一瞬で否定されるかのように関係はあっけなく終わりを迎え、私は何の意味も持たないスマホを眺めながら、いまだに気持ちの整理がつけられていないことを知った。心にぽっかりと空いた穴は予想以上に大きく、当分は修理に時間がかかるみたいだ。

 

出会いは青い鳥が運んできてくれた。片手で数えられるほどしか会ったことがないのに、鮮明にその姿を覚えている。ご飯を食べているのか心配になるくらい細くてしなやかな身体とか、甘ったるいけどいやじゃない香水の匂いとか、歌が下手だと言いながら時々口ずさむ鼻歌とか、いつのまにか心地よくなっていた声音とか、身長のわりに小さい足のサイズとか、それが好きな人のすべてではないけど、同じ時間を共有していく中で多くのことを知った。

 

「優しい人がタイプ」とあれほど言っていたのに、どうしてこんな人を追いかけ回しているのだろうと思ったことがある。自分勝手で無神経な寂しがり屋。「世界で一番すき」だと言ったら「世界中見てから言えよ」と一蹴され、何か話してといわれて「すきとか?」と伝えたら「しらけたわ」と鼻で笑われて。こんな風にあしらわれながらも私たちの関係は続いていったし、好きな人も好きな人で気のあるような素振りを見せてきたりと奇妙な関係だったと思う。

 

嫌いなところも少しはあったけど、どこが好きなの?と聞かれたらぜんぶとしか答えようがなかった。それくらい好きだった。というよりは行き過ぎた恋心から生まれた執着心と信仰心のせいで、神にでもなってしまったのだと思う。神はね、そりゃあ、敵わないですよ。だって、私人間だし。恋は盲目っていうけど、本当にそうだった。単調でモノクロだった毎日に彩りを与えてくれたのは好きな人だった。

 

私がいまだに考えることといえば、何が間違っていたのだろう、とただそれだけで。あの日風邪を心配して会いにいったのが悪かったのか。簡単に身体を許したのがいけなかったのか。そもそも私の遠慮がちで他人の顔色を伺う性格に嫌気がさしていたのか。それとも出会ったことから間違っていたのか。結局私は最初から最後まで暇つぶしでしかなくて、寂しさを埋めるための道具でしかなくて、あの人が言った言葉も全て嘘だったということなのだろうか。

 

ずるずると関係を続ける前に切る。思えば、それが好きな人なりの私を大切にする方法だったのかもしれない。けれど、私は、私のことが好きじゃなくても、代わりがたくさんいたとしても、私のことを都合よく使ってほしかった。それで関係が続くのなら、本望だった。夢物語を語り、実現することのない約束を交わす、生産性のない時間がいつまでも続けばいいと思っていた。電話がかかってくるのを待つ夜も、眠気まなこで電車に揺られた朝も、今日はこんなことを話そうと考えていた昼も、私のすべてだった。本当は失いたくなどなかった。

 

でも、現実はそう甘くなく、昨日までそこにあった心地いい関係は跡形もなく消えてしまった。呆然と日々を過ごしていくうちに、彼からの連絡が途絶えたからだ。疑問ばかりが頭をよぎる中で、行き場のない悲しみと怒りは容赦なく私を襲った。戻らない日々を思い出すたびに自分ばかり責める私の気持ちが、勇気を出して電話をかけたのにテレビを見ている笑い声に声を殺して泣いた私の気持ちが、何事もなかったかのように日常を更新され続けられる私の気持ちが、わかるか。わかるわけない。わかるわけないんだよ。

 

とはいえ、時が癒してくれているのも確かで、前ほど枕を濡らす夜は少なくなった。最近では友達にこんなことがあったと笑い事のように話しては、欲しくもない慰めの言葉を貰い、自己嫌悪するループに陥っている。ただ、忘れてしまいたいと願った思い出の端々が薄れかけていくたびに、必死になってそのかけらを拾い集めようとするあたり、まだ私は彼のことを好きなのだなあ、と気付かされてしまう。

 

好きな人は今何をしているのだろう。こんなことすら聞けない自分が歯がゆくなる。元気だろうか。今日は何を食べて、どんな話をして笑ったのだろう。何を大切に思い、どんなことを考えて過ごしたのだろう。最近嬉しかったことは、悲しかったことは、なんだろう。もしこのブログを読んだら何を思うのだろう。私と話せないのは平気なのだろうか。私のことを少しでも思い出してくれる瞬間はあったのだろうか。

 

恋は呪いで、愛は祈りだ。ここまでつらつらと書き連ねてきたが、憎悪の感情で気がおかしくなるような日もたくさんあった。そういう時、私は恋をしているのだなあ、と思わされる。どうにかこの呪いが祈りに昇華できるよう願うのだけれど、私は思ったより普通の人間なので、簡単に切り替えることが難しいらしい。この痛みが消える日には何を思うだろうか。好きな人の幸せを願える日が来るだろうか。そんなことを考えつつ、今日も現実味のないこの世界をクラゲのように漂いながら生きていく。