今日のことは忘れよう

好きを発信していく。

旅行あとがき

 

嫁と別れて、一人で特急電車に乗った時、窓の外の景色を眺めながら、明日行く神社では何をお願いしようかなあなんて考えていました。京都にある願い事を一つ叶えてくれるという寺と、悪縁と縁を切ることで有名な神社。どちらもSNSを通じて知ったものです。

 

調べてみるとすごく信憑性が高いことが分かったので、生半可な気持ちでお願いするのはやめようと思いました。宝くじを当てて億万長者になりたいし、このだらしない身体ともお別れしたいし、どんな方法を使ってでも可愛くなりたいけど、、何をお願いしよう。

 

私はしばらく思いを巡らせ、考えがまとまり始めると涙が止まらなくなっていました。

 

「自分を大切にしてくれる人と出会えますように」

「自分を蔑ろに扱ってくる人との縁が切れますように」

 

漠然とした幸せになりたいという願いは、私の中ではきっとこういうことなのだと思います。狭くても深い人間関係が欲しい。これ以上人間関係で傷つきたくない。自分の本当の願いを知ることは自分を見つめることと同じだと翌日訪れた際、前述した寺の住職が言っていましたが、本当にその通りだなあと思いました。

 

 

思い返す日々は、ほぼハブられている状態の学生生活だったり、一晩狙いで手を出された夜だったり。私はここにいるのに!って必死に訴えても当事者たちには一つも響きません。突然自分が存在しなくなったかのように扱われると、人は気が狂ってしまうのだなあと思いました。

 

私はそんなに強くないのに、そんなことをされても傷つかないような人間に見えたのでしょうか。

 

こうやって扱われてくると人間は大体「自分は価値のない人間だ」とか「この世からいなくなってしまいたい」と思うようになってきます。私もその一人で、幼少期にはまばゆいほどあったはずの自己肯定感とか自尊心みたいなものはとっくに地の底まで落ちました。

 

もちろん、「死んでしまえ」と冗談で言われたことも、「ブスだからなあ」と酒を飲みながら言われたことも、忘れることなどできなくて、今の私を形作っています。

 

でも、不思議なものでどれだけ不当な扱いを受けても涙は出ます。しょうがないよって慰める自分がいます。たまたま引いたくじがハズレだとしても、ここまで育ててきてくれた親のことをバカにされたくはありません。

 

結局のところ、私自身が望むのはおこがましいのかもしれないけど、ありのままの自分を愛して欲しいのでしょう。

 

だから、私は嫁が卒業旅行に行こうと誘ってくれた時本当に嬉しかったのです。3年間通った学校では誰も言ってくれなかった言葉を、いとも容易く言ってくれたから。

 

私たちはSNSを通じて知り合いました。初めて対面したのはほぼ2年前の5月。きっかけはよく覚えていないけれど、ギリギリに予定が決まったことだけは覚えています。初めて乗る夜行バスに、初めて行く県。何もかもが新鮮だったけど、当時学校に居場所がなかった私は、嫁と一緒にいたたった2日間がかけがえのないものになりました。

 

会うのだって最初は怖かったけど、こんな私に笑顔で話しかけてきてくれることが、どれほど嬉しくて、どれほど救われたか。劣等感にまみれた自分の人生を肯定してもらえたようでした。ちゃんと一人の人間として尊重してもらえるのは久しぶりで、このかけがえのない時間が失われてまた泥水みたいな日常が戻ってくるのが本当に苦痛で、気付いたら涙がこぼれ落ちていたのです。

 

指輪を貰ったパンケーキが美味しいカフェ。青い海を横目に車で走った白い砂浜。ルマンドアイスを求めて探し歩いたコンビニ。別れが近付きボロボロと泣き出したバス停前。何度思い返しても、きらきらしていて錆びることがない大切な思い出。

 

初めて会ったあの日のことを思い出すと今でも泣きそうになります。というより、この記事も泣きながら書いています。

 

ぺこちゃん、3日間一緒に過ごしてくれて本当に本当にありがとう。自分の誕生日に一緒に過ごしてくれる人がいました。行くはずのなかった卒業旅行が確かにそこに存在しました。久しぶりに会っても変わらない笑顔を見れました。本当に十分すぎるくらい大切にしてもらいました。

 

好きな人に0時ちょうどに「誕生日おめでとう」と言ってもらうより、幸せなことがこの世にあるんだなあ、と本気で思いました。

 

もしも、嫁とあの時話していなかったら、私たちを繋いでくれたフォロワーがいなかったら、私がアカウントを開設していなかったら、、きっとこういう未来は訪れなかったのだろうと思うととても感慨深いです。

 

思えば、嬉しい時、辛い時、暇で仕方がない時、誰かに構って欲しい時、いつでも私はSNSに頼りっぱなしでした。自分が思っているよりも遥かに多くの人に支えられて生きていると思います。フォロワーだってそうです。このブログを読んでくれているあなただってそうです。会ったことがなくても、話したことがなくても、私なりに一人一人大切に思っていると思います。

 

私が傷つけてしまったと思う人だって、こんな私とまだ縁を切らずにいてくれると思うと感謝してもしきれません。

 

蔑ろに扱ってきたと思う人だって、誕生日にわざわざメッセージをくれたり、プレゼントをくれたりします。結局のところ私のことを邪険に扱いたいのか、大切にしてくれているのか分かりません。

 

だけど、私はやっぱり信じたい気持ちが強いので、縁があって出会えた人たちを自分から切り離すことはできないなあと思います。(たまに疲れて人間関係をシャットダウンしたくなる時があるのはお許しください。)

 

結局何を伝えたいのかというと、まっすぐに愛情を注いでくれる人も、不器用な愛を持って接してくれる人も、みんなみんなありがとうということです。どうやって今まで生きてきたのかも、これからどうやって生きていくのかもわからないけど、無事22歳になれました。

 

この先何十年と生きていく上で、何度も失敗や間違った選択をしていくと思いますが、その時は暖かく見守ってくださったり、バカだなあと笑い飛ばしてくださったり、正しい方向に導いてくださると嬉しいです。

 

最後に、私は私に関わってくれる人たちみんなの幸せを願っています。できるだけ嫌な思いをせず、周りの人から大切にされて生きていけるよう祈っております。

 

どうか皆さんが歩む道に光がありますように。