今日のことは忘れよう

好きを発信していく。

夢が覚めるまで

 

好きな人の夢を見た。念のため言っておくと、好きな人と書いてはいるけれど1年前に振られていて連絡すら取っていないので、今は他人に近い。近頃は滅多に思い出すことがなかったので潜在的な意識というよりは、最近ネットサーフィンしていた時に踏み抜いた自撮りの影響だと思う。それでも、まるで変わっていないその姿に私はひどく安心してしまった。

 

少し茶色がかった髪色に毛先がくるんと巻かれているパーマ。腐りきった性格にお似合いの柄シャツ。久しぶりに会っているというのに、何の気なしに話を振ってくる無神経さ。好きな人の家で、好きな人に作ってもらったバターチキンカレーを食べるという現実では起こりえないシチュエーションに夢だと分かっていながら思わず笑ってしまった。

 

こんな幸せなことがあっていいのだろうか。

 

カレーはあまり得意ではないはずなのに、夢から覚めた時はそう本気で思ってしまって、とてもびっくりした。カレーが好きな彼にそのことを伝えた時の返答なんてもう鮮明には思い出せないのに。それでも、自分にとっては関心や嗜好なんかよりも、好きな人と一緒に過ごす時間が何より大切だったという想いが具現化したのだろうと思うと少し顔が綻んでしまった。

 

とはいえ、好きな人のことを思い出すとやるせない気持ちになる。私のことなんて忘れて謳歌しやがって!とひどく苛立つこともあれば、どんな形でも好きな人の記憶の隅に私の存在が残っていないだろうか…という淡い期待で胸がいっぱいになってしまったりする。これはしょうがない話なのだけれど、同じ時間を過ごしていたはずなのに、こんなに気持ちに相違が生じてしまうのはただただ世知辛いなあと思う。

 

私は、好きな人が日常からいなくなった時、自分の一部がなくなってしまったような気分だった。喪失感、虚無感、孤独感といった感情に襲われ、元からなかった中身が一層空っぽになった。楽しかった思い出はダムが決壊するかのように一瞬で崩れ落ち、かかってくるのかこないのか分からない電話を待つことから何が悪かったのか頭の中で追求することが自分のライフワークになった。おかげで、自分1人の力で立って歩けるようになるまでかなりの時間を費やした。

 

そんな私に対して、好きな人はあんなに骨っぽい身体だったのに自分の足で立てていてすごいなと思う。毎日のように電話をかけてきて、その度に他愛のない話をしたり時には甘えたりしていたというのに、自分の人生から '' 私 '' を切り離そうと考えた時に、いともたやすく出来てしまうなんて想像もできない。というか、心がないんじゃないかと思ってしまうくらいだ。私が好きになった人は、血も涙もない悪魔だったのだろうか。

 

結局のところ、毎日電話をかけてきたのは彼だったのに、彼に依存をしてしまっていたのは私で、私は彼にとっては消耗品みたいなものだったのだと思うと、私はちっぽけな人間なのでその覆せそうにない事実に目を瞑りたくなる。何度も咀嚼してゆっくりとその事実を受け入れようとしているのに、心の片隅で希望的観測をやめられない私は本当にメルヘンの世界で生きているなと思わされる。

 

あれほど好きだった好きな人の声ももう思い出せないなんて知ったら、世界で一番好きだと言った時の私は落胆するだろう。

 

きっと「本当に彼のことを好きだったのか!私は今もこんなにも想っているのに!」なんていうふうに激昂して、その悲痛な叫びに対して今の私は「痛みを癒せるようになるまでたくさんの時間を犠牲にしたんだよ。本気で復讐を考えていたことだってあるし、授業中にひっそりと泣いたこともあるんだよ。あなたの気持ちは決して間違いじゃなかったよ。」って返すのだと思う。

 

ただ、本当に好きだったんだよなとぼんやり考える一方で、私は変化を恐れる人間なので、好きな人を好きじゃなくなった自分を認められなかったのではないかと思わずにはいられないのだ。自分の心の中に好きな人がいなくなったと感じるたびに「いや、そんなはずがない」と慌てて、忘却しようとしている記憶の箱から好きな人に関する記憶を取り出して、ほら私はまだこんなに好きじゃないかといったようにその記憶を愛でて、好きな人を好きだった時の自分を創り出していたのではないだろうか。そして、それが私の失恋を長引かせた要因の一つになっていたのだと思う。

 

もしかしたら一種の麻薬のような依存性がある甘い日々を忘れられないだけなのかもしれないけど、「世界で一番好き」だと言った自分に固執していたのかもしれないなと思ったら少し心が軽くなった。人の気持ちは移り変わるものだと知っているからだ。

 

それでも、夢の中に好きな人が出てきた時に「この気持ちが夢を通して好きな人まで伝わってしまったらどうしよう」「この笑顔をずっと見ていられたらよかった」と思ってしまったあたり、あれだけ最低だありえないと愚痴をこぼしていたのにも関わらず、心の底では彼が悪い人じゃないっていまだに信じているのだろうし、白馬の王子さまでも現れない限り彼を好きでいることがやめられないのだろう。

 

最後に残るのは呪いだったのか、祈りだったのか、もう1年も経ったというのに私にはまだ分からない。けれど、彼の夢を見ることができるうちは、街中ですれ違う人に彼の面影を探しているうちは、思い出深い場所で彼のことを一番に思いだすうちは、幻かもしれないこの感情を抱き続けるのだろうと思うと、最後に残るのはきっと祈りだったのだと思う。